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黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。
萬福寺の玄関として天王殿が設けられています。
中国では一般的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀ります。
×型の組子を入れた匂欄は、日本では特異なたすき匂欄で、チベット・中国で使用されているデザインです。
ちょっとメタボな、弥勒菩薩(布袋)坐像♪
石條(せきじょう)
境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上立てるのは住持のみです。
大雄寶殿(だいおうほうでん)重文
萬福寺の本堂であり、最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、大変重要かつ貴重なものです。本尊は釈迦牟尼佛。両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。両脇に十八羅漢像を安置。大棟中央に火焰付、二重の宝珠。正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。上層の額「大雄寶殿」は隠元書。下層の額「萬徳尊」は木庵書。本堂内部須弥壇の上の額「真空」は明治天皇の御宸筆。
獅子吼(ししく)
費隠書。釈迦の説法を、獣中の王である獅子が一度咆哮すれば、百獣すべてが従うことにたとえ、獅子吼といわれています。
蛇腹天井(じゃばらてんじょう)
HPより抜粋♪
黄檗天井ともいい、龍の腹を表しています。本堂のほか、法堂、開山堂の主要建造物の正面一間分の軒下の垂木はこのように丸く、かまぼこ型をしています。中国・チベットにも同様のものがあり、「檐廊(えんろう)」と呼びます。
開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)♪
黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。また魚梆、魚鼓とも呼ばれます。叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器のことです。
雲版は、朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。青銅製。
とったど〜〜〜 っぽく撮影してみました♪
三門重文
三間三戸。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊があります。大棟中央に火焰付宝珠があります。正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書。ここを入れば脱俗の清浄域です。円柱を用いた建物は、三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。
桃が屋根に乗ってるよ♪
三門重文
三間三戸。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊があります。大棟中央に火焰付宝珠があります。正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書。ここを入れば脱俗の清浄域です。円柱を用いた建物は、三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。
総門重文
中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、漢門とも呼ばれました。中央上部裏面には円相が型取られています。これは風水的モチーフの一つ、「白虎鏡」です。額「第一義」は第5代高泉の書。この額字には高泉和尚が何度も書き改められたという逸話があります。
三間三戸。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊があります。大棟中央に火焰付宝珠があります。正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書。ここを入れば脱俗の清浄域です。円柱を用いた建物は、三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。