清廉、実直、真面目乃木大将ととともにあらん♪

パソコバ

2020年12月06日 16:56

今日は、山科にある「一言寺」に行く予定でランラララン♪

「一言寺」で、一つだけ心から願ったことが叶うとされているお寺とききつけ、

どうしても行きたかった「走るおばさん♪」

肌寒いながらも、お日様が「走るおばさん♪」をニコニコと照らしてくれる初冬のあさでありました♪

信号でとまると、あたまに京都マラソンの参加賞をまいてらっしゃるランナーさん見っけ♪

居てもたってもおれず(笑) 

お声をかけました〜♪




最近流行っているシューズを履いてらっしゃるん♪

かっこいい♪ フルマラソンもこれで走ってらっしゃるようで、思わず「走るおばさん♪」欲ちくなった・・・

「走るおばさん♪」もシューズを新しくしました♪

なんと、5年前ぐらいに購入して、足にあわないやとタンスの肥やしになっていたのを引っ張り出してきました♪

まだ初心者だったころは、ちょっとしたことでシューズが合わないと思い込んで居たけれど、

ぜんぜんフィットしてるやん♪(笑)


マラソンも長いことしていると、もうシューズはなんでもオッケーになってくるのだとつくづく思ったのであ〜る♪





次に見つけたランラーさんも、首に京都マラソンも参加賞!!!


背後から、やんわりお声をかける「走るおばさん♪」


なんと、京都マラソンのペースメーカーもされたというすんごいランナーさんでした♪

鴨川をずんずん上がっていかれるそうで、 ぜひ私の庭でもある北山橋での写真を楽しみにしてますと、

プレッシャーをかける「走るおばさん♪」

なので、インスタのお友達に即ならせてもらいました♪


桂がをバックに、躍動感あるポーズで決める初対面の二人(笑)








そんな素敵なランナーさんとお会いした後、山科にずんずん走ります♪

すると、なんだか魅力的な「乃木神社」と書かれた看板みっけ!!

なんだか引き寄せらるように向かう「走るおばさん♪」

なんだか素敵そう♪




乃木神社販売機もあった  販売機好きな「走るおばさん♪」はたまらんわ〜ん♪





「戦艦吾妻の主錨戦艦吾妻の主錨」


HPより抜粋♪


この錨は、日露戦争時の装甲巡洋艦として活躍した「吾妻(9300噸)」に装備された主錨で、約3.8屯の重量があります。

同艦は、その時期にフランスで起工進水し完成後我が連合艦隊に編入され、日本海々戦に参加活躍した殊勲艦であります。昭和初期に舞鶴湾岸に繋留され海軍兵育成の練習艦として転用され大いに貢献しました。

昭和19年(1944)退役解体されましたが、常に艦と栄光を共にした錨であります。

 

 平成3年(1991)京都府出身の旧海軍従軍者の熱願によって、当神社に慰霊碑「滄海に眠る若人の碑」が、建立されることになり、その慰霊のモニュメントとして安置されました。

 














HPより抜粋♪

国歌「君が代」にも詠われている「さざれ石」は、形成上は雨水等によって土中の石灰質が溶け出し、地中の砂礫の間に滲み込み凝固したもので、数万年を経て巌(いはほ)となって形成されたものです。

明治天皇伏見桃山陵の墳丘上面は、「さざれ石」で葺かれております。

 













あら〜〜〜この方って???

乃木大将じゃん!!!

前に、TVドラマでみたことあるわ!!!

HPより抜粋!

ご祭神は、日露戦争で日本に勝利をもたらした乃木希典大将とその妻静子夫人です。
東京の「乃木神社」は、かつて乃木一家が暮らした家のそばにあります。そこで明治天皇が崩御された後、夫婦ともに自刀なさったのです。すでに2人の息子を共に日露戦争で亡くしている乃木大将。もちろんほかの戦死者を思い、決して悲しみを見せなかったといわれますが、息子たちを亡くした父親としては、正直、辛く、悲しかったことでしょう。
乃木大将と静子夫人は、三人の息子と1人の娘に恵まれますが、すべて自分たちよりも早くこの世を去っています。

 


なので、「乃木神社」というのね!!!









乃木大将と紅葉と「走るおばさん♪」










さっそく、展示場へ入らせてもらいました♪

HPより抜粋♪

日本を思う心と明治天皇への厚い忠誠心、質実剛健の生き方などから国民の崇敬を受けていた乃木希典。その質素な暮らしぶりは、東京の乃木神社の脇にある住まいからも伺えます。



こんなところで、1年も・・


日本の心をお持ちになってらっしゃった乃木大将さんに想いを馳せてみました

 






















そして、奥にいくと「山城えびす神社」がありました♪







幸せになれそうな、「幸せになり」と書かれた鯛さんを発見!


もう、どうしても幸せになりたい「走るおばさん♪」 頬ずりをしまくり、お願いをしておきました




なりたいねん! 「しあわせに♪」






どうしても〜  どうしても〜〜〜〜〜なりたいのよん♪




素敵な紅葉が広がります





ここからは、お百度参りのスタートね♪





がおーちゃん♪






青空に日の丸!   ここは日本であります!



本堂横にある、紅葉の神木様にもだきついておきました♪






「勝水と勝ちま栗の祠」



「走るおばさん♪」も、勝って勝ってかちまくるぞ!!





ピロリ菌がこわいから、飲みはしませんわよ♪







長府乃木邸(復元)

 

乃木大将の父十郎希次は、江戸麻布毛利邸で槍術及礼法小笠原流の指南番をする禄高百五十石の武士でした。しかし幕末の藩政改革時に改革案を上申し、これが上級藩士の機嫌を損ねる結果となり減禄二分の一となりました。その後長府(山口県)に帰り閉門蟄居の身となり、住家は、足軽の家を借りてそこに住まわれたのです。その家がこれに見る旧邸です。

 







HPより抜粋♪

乃木希典は、辞世の句を2つ残している。


「うつし世を神さりましし大君の みあとしたひて我はゆくなり」
「神あかりあかりましぬる大君の みあとはるかにをろみかまつる」

妻の静子も同様である。


「出ましてかへります日のなしときく けふ(今日)の御幸(みゆき)に遭ふそかなしき」

これほどまでに実直な人もまたとない。


日露戦争後は、全国を行脚し、遺族と傷病兵一人一人を見舞ったという。皇室からの御下賜品などは、戦争によって負傷や障害を持った人を収容した「廃兵院」に届けていたようだ。義理堅く、人情厚く、誰からも慕われれる人物であった。

最期まで「軍人」を貫き通した乃木希典。


果たして、彼が現代に生きていたならば、なんというだろうか。
そう、思わずにはいられない。



ほんと、「走るおばさん♪」を見てなんというだろう・・・と思ってしまった「走るおばさん♪」


されど、時代は違うけれど、生粋の日本人である「走るおばさん♪」も同じく

清廉、実直、真面目  に生きております



乃木大将ととともにあらん♪



なにげに寄った「乃木神社」 



そこには、日本を支えてくださった、 清廉、実直、真面目 な乃木夫妻が祀られおり、


なんとも、心に沁みた偶然の観光のランでありました



あまりにも素晴らしい神社であったので、もう今日はこれでお腹いっぱいになり(笑)





このあとは、近くにある「伏見桃山城」に寄って家にかえったとさ(笑)



またつづくよ